代表理事
山は真っ白いキャンバス、スキーは筆、あとは思いっきり描くだけ。
私はそう思って、雪山という大斜面に筆を走らせてきました。
白馬で育ち、毎日見上げてきた山にシュプールを刻みたい。その一心で、10年の歳月をかけて、白馬三山(白馬岳・杓子岳・鑓ヶ岳)の厳冬期滑走を達成しました。記録を目的に行ったわけではありません。あのラインを滑りたいという意志があったから、リスクと天候とタイミングを読みながら、10年待てた。
斜面に刻まれたシュプールは、私にとって生きた証です。それを見て、「ああ、今日も自分は生きているな」と実感する。それが冬山の最大の魅力です。
雪崩のことを学ぶようになってから、自然って一見厳しいように見えて、実はすごく優しいんだなと思うようになりました。そう思えるようになったのは、自然が出しているメッセージに気がつけるようになってきたからです。
私の雪崩の師匠である若林隆三先生は、「突き詰めていったら、自然の方から語りかけてくれるものなんだよ」と教えてくれました。最初はその意味がわかりませんでした。しかし雪崩と向き合い続けるうちに、日々、仮説と検証と予測を繰り返していると、少しずつ自然の声が聞こえてくるようになる。そのことに気づいたとき、先生の言葉の意味がようやくわかりました。
雪崩は、危険なものです。人が介在すれば、命を奪うこともある。しかし同時に、雪崩は自然循環の中で大きな役割を担っています。雪崩れることで雪は細かく砕かれ、谷に溜まり、夏も溶けずに水を蓄える「白いダム」になる。全層雪崩は山の腐葉土を削り、ミネラルを河川に供給し、田畑を潤す。
雪崩という山の幸を失った世界は、決してバラ色ではない。若林先生が残してくれたこの問いが、アルプス雪崩研究所の出発点です。
私がこの活動に死ぬ気で取り組んでいる理由を、正直にお話しします。
約10年前、「ダムネーション」という映像作品を見ました。ダムを破壊して環境を再生するという内容でした。それまで私は、ダムはクリーンなものだと習ってきました。教わるものと真実がかけ離れていることを知り、非常にショックを受けました。
その日、私は連れてきてくれた方にこう言いました。
「なぜ、あなたたちが今まで取り組んでこなかったことの決着を、私たちの世代でつけなければいけないのですか?」
私は、自分の子供に同じことを言われるのがとても怖い。子供たちが大きくなって真実を知ったとき、「なぜ知っていたのに、行動を起こさなかったのですか」と問われることが、何より恐ろしい。
だからこそ、私はこの活動から逃げない。雪崩の安全管理も、環境のことも、すべては次の世代に「なぜお前はやらなかったのか」と問われないために、常に前進し続けています。
私は「自然に優しく生きている」わけではありません。
スキー場の安全管理を通じてインバウンドを誘致し、海外から多くの方をこの地に招いている側の人間です。環境を破壊している自覚があります。だからこそ、どこかでそのバランスを取らなければならない。
8年前に生坂村に越し、無農薬で野菜とお米を作り始めました。そこでわかったことがあります。世の中の環境対策の多くは、環境破壊を先延ばしにしたり低減させたりする程度にしか機能していない。しかし無農薬農業を続ける中で、土が豊かになり、生き物の住処が再生され、多様な命が集まってくる。人間の活動によって、環境は再生できる。それを身をもって実感しました。
昨年からは生坂村小学校の6年生と一緒に田植えから稲刈りまでを行い、収穫したお米を子どもたちに届けています。無農薬の田んぼにどれだけ生き物が集まるか、稲が花を咲かせたときにミツバチがどれだけ遊びに来るか。それを言葉ではなく、子どもたちの目の前で見せています。
雪崩が山の腐葉土を削り、ミネラルを河川に運び、田畑を潤す。その田畑で無農薬の米を作り、子どもたちが食べる。その雪を次の世代に残すために、この土地に根を張り、小さく生きる。
雪崩管理も、無農薬農業も、子どもたちへの教育も、すべて同じ一本の線の上にあります。
紡ぐことが最も重要だと思っています。
雪崩のことが一つわかったとしても、自然は変化していきます。気候が変われば、雪崩も変わる。一つが確立して終わりではなく、それに合わせて調整し続けなければならない。お米作りも雪崩管理も、終わりがありません。
だから、次の世代の子どもたちに紡いでいく。今、自分に見えているものを伝えれば、彼らは変化する時代の中で、もっと違った視点でそれを進化させてくれる。それが自分の役割だと思っています。
雪を残す。知恵を紡ぐ。根を張る。小さく生きる。
アルプス雪崩研究所は、そのためにあります。
この循環を、一緒に守ってくださる方を探しています。